Project Nagano Nakajo

はじめまして。
緒方晋といいます。
舞台役者をしています。


この文章は僕らが長野の中条という限界集落の地区に作ろうとしている「ゑん~enn~」という場所について2022年に書き出したページです。


候補地探しは数年前からはじめていましたが、「ここだ!!」という場所が長野市の中条地区に見つかったのでこのページを立ち上げました。


現時点でのメンバーは僕(緒方晋)と妻(黒岩三佳)ですが、僕たち二人だけで「ゑん~enn~」という場所が作れるとは到底思えませんので、色々な人に関わってもらったり参加してもらえたらと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。


まずは自己紹介を兼ねて、なぜ僕が「ゑん~enn~」という場所を作りたいと思ったのかを書きたいと思います。
例えばカフェです、とかゲストハウスですといったように、「ゑん~enn~」とはどんな場所なのか具体的に表現することができないので、僕が「ゑん~enn~」を作りたいと思うきっかけとなった体験や考えを書いて「ゑん~enn~」をどんな場所にしたいのかイメージが伝わればと思います。

そして「うん、いいね!」「面白そうじゃん!」と思ってくれる人が増えていったらたらいいなと思っています。

ちなみに、僕は文章を書くのが苦手で説明も下手なのでわかりにくかったらごめんなさい。

長くなると思いますがしばらくの間お付き合いください。


僕は大阪出身、妻は長野出身で、僕たちは演劇を通じて東京で出会いました。
結婚する前から妻はゆくゆくは長野で暮らしたいと言っていたので、いずれは長野に生活拠点を移すことは僕も承知していました。

とはいっても僕は東京での演劇活動を続けていくつもりでしたので、長野と東京の二拠点生活になった時に、縁もゆかりもない長野で何をしようか?ということはずっと探していました。

僕はとにかく古いものが大好きで、古道具や古い家具や器、古い建物が大好きです。(玄関先に「ご自由にお持ちください」と書いてある古い食器や家具をすぐにもらってきてしまうので妻にいつも怒られます、、、)僕は古い物に囲まれて過ごすことが夢で、長野には空き家になっている古民家がたくさんあることを知ったので、古民家を改装してゲストハウスができたら楽しいんじゃないかと思うようになりました。
この時は単にゲストハウスを運営してそれでお金が稼げたらいいなくらいにしか思っていませんでした。


しかし2018年のフランス滞在とその後に起きたコロナ禍、2021年の2回目のフランス滞在をきっかけに、僕が作りたい場所は「人が集まり出会い」そして「人と人が繋がる」場所へとイメージが変わって行きました。

兎にも角にも僕はフランスの劇場に衝撃を受けた

2018年9月に庭劇団ペニノさんの『ダークマスター』という演劇作品がパリ・フェスティバル・ドートンヌとジャポニスム2018に招聘され、僕はフランスのジュヌヴィリエ劇場の舞台に役者として立たせて貰いました。

5日間という短い公演期間でしたが日本の僕達の作品を沢山のフランスの方達が観に来てくれました。おじいちゃん、おばあちゃん、学生、カップル、仕事帰りのサラリーマン、隣の街に住んでいる人、演劇好きな人、他の国から来た劇場の関係者、トルコ料理の店員(僕がよく食べに行っていたレストランの店員さん)などなど、本当に多種多様な方達が観に来てくれました。

演劇の公演がない日でもジュヌヴィリエ劇場に併設されているカフェや劇場の敷地内で週に2日開催されるマルシェ(市場)に沢山の人が集まって、各々が劇場の敷地内で好きなように過ごしていました。本を読む人、会話している人、コーヒーを飲んでぼーっとしている人、音楽を聴いている人、店員と話をしている人、何も買わずに座っている人、待ち合わせしてる人、買い物をしている人。

また、劇場の屋上には畑があって野菜が栽培されたり養蜂もしていて、劇場で働いている様々なルーツのスタッフたちは皆とても楽しそうに仕事をしていました。

僕が知っている日本の劇場は何かを表現したり発表する場所として存在していますが、フランスの劇場は多種多様な人々の生活や人の営みと共存しながら存在していて、劇場は人が芸術に触れるだけでなく街の人々が繋がるための場としての役割を果たしているように僕には感じられました。そんな劇場の姿勢を僕はとても良いなと思ったのです。

2021年11月から庭劇団ペニノさんの『笑顔の砦』という作品でフランスの3都市をツアーでまわらせてもらった時のルーベの劇場(ROUBAIX – LA CONDITION PUBLIQUE)も僕が感銘を受けた場所です。

この劇場は100年以上前に建てられた紡績工場がリノベーションされた劇場でした。劇場が沢山の人々が集う場所であることはジュヌヴィリエ劇場と同じでしたが、この劇場はとても広い敷地内に劇場以外の様々な施設が併設されていました。

例えばとても大きな工房です。

この工房では舞台セットの廃材がリサイクルショップのようにストックされていて、その廃材は他ジャンルのアーティストや地域のお金が無い人々に提供され、常住している専門スタッフに教えてもらいながら生活に必要な家具を自分で作ることができるのです。全て無料です。おじさん2人が手作りした椅子を2人で担いで持って帰っていく後ろ姿を見て、僕はとても暖かい気持ちになりました。

工房以外にもパソコンの使い方やスケボーを教えてもらえるスペースがあったり、子供達が遊べる広いスペースがあったり、パブで地元の人がお酒を呑んで寛いでいたり、身体障がい者の方達が運営するカフェがあったり。カフェとパブの飲食代は有料ですが他のスペースは全て無料で利用できました。

今は必要とされなくなった100年前の紡績工場が壊される事なく劇場として生まれ変わり地域の人達には無くてはならない場所になっていること、そして舞台セットの廃材がただ廃棄されるのではなく別の人の手に渡って新たな価値を生み出すという循環に僕は本当に感動しました。

言葉がなくても通じ合える その感触

僕は自分でも自覚はありますが注意力が散漫です。

お金を落とす、反対方向の電車に乗ってしまう、電車を乗り過ごすといった事は日常茶飯事です。旅公演から財布だけ持って手ぶらで帰宅して妻に驚かれた事もあります。小さい頃から毎日が珍騒動です。


2021年の1ヶ月間のフランス滞在中は輪をかけてハプニングの連続でした。

パリ郊外に1人で行った時は焦りました。

フランスは電車の切符の買い方が分かりにくく、駅員さんが居る時は良いのですが居ない時もあります。その日行きたい街はパリ市内とは反対方向だったのですが、行きたい駅までの切符の買い方がわからず駅員さんも居なかったので、とりあえず乗車駅からパリ市内に行く切符を買いました。僕が行きたい場所より高いお金を払ってパリ行きの切符を買ったんだから降りる駅で駅員さんに伝えたら大丈夫だろうと軽い気持ちでした。電車の窓からフランス郊外の風景を眺めワクワクし、目的地の駅で電車を降り改札を出ようとしたら無人駅でした。切符を何度通してもけたたましい音が鳴り出れません。外に出たくとも無賃乗車を防ぐ為なのかガッツリガードされていて改札をくぐる事も他から出る事も出来ません。駅員さんも見当たらず関西弁で『どないせい言うねん!フランスむちゃくちゃやな!!』と独りで不安を受け流そうと叫んでいましたが誰も居ません。

戻る電車も1時間後。

諦めて帰りの電車に乗ることも考えましたがやはり行きたい場所だから諦めきれない、困りはてているとイカツイ身長2m位あるアフリカ系の男の人が大きな声で僕を見ながら叫んで来ました。最初はフランスでカツアゲされるのかと思ったので無視しましたが、その男性がゲートを自分の体で押さえながら僕を手招きし「オマエも通れ」と僕を一緒に通そうとしてくれていました。

笑顔で『メルシー♪メルシー♪』とその人と密着しながら狭い改札を出ました。
お兄さんは電車に乗るので見送ろうと振り返ったらお兄さんが鬼の形相で何かをフランス語で叫んでいました。
僕はお礼のチップを要求しているのか?
何か気が障る事をしたのか?と考えていたら僕が財布をコートの外ポケットに入れているのを見て

そんな所に財布を入れちゃ危ない!!

おい!リックに入れるな!

いいか!

ズボンのポケットにちゃんと入れておくんだ。

おいバカ!

後ろじゃない前だ!

そうだ!ズボンの前ポケットに入れておくんだ。

ここは余り治安が良くないしスリが多いからな。

良き1日を♪

とアドバイスをしてくれました。
2人とも笑顔でさよならをしました。
さよならする時の立ち振る舞いが映画で見るような仕草でカッコ良過ぎて見惚れてしまいました(笑)

僕は英語はカタコト程度、フランス語は全く喋れません。
ほぼボディーランゲージです。
だけど僕にはその男性が言っていることがちゃんと伝わりました。

言葉が理解できない分相手が何を伝えようとしているのか僕は全身全霊でキャッチしようとするし、相手も全身を使って僕に伝えようとしてくれる。

日本にいる間は使っていなかった大切な感覚が開かれてコミュニケーションをしている感じがしました。

それは新しい感覚を手に入れたというよりも、もともと持っているのに閉じてしまっていた感覚の扉が開いたというイメージです。扉を開いておくことは、人と人が関わりあう上でとても大切なことのような気がしました。でも、僕はフランスに行ってこの扉が開かれるまで自分の扉を閉めてしまっていたことにすら気がつかなったのです。

僕は普段、言葉に頼り過ぎているかもしれない。

そんな事を考えながら歩いていたら犬のウン◯を踏みました。良い思い出です。

僕は僕のままで良い 自分の声に耳をすませ そして扉を閉じるな

それは2018年の『ダークマスター』のフランス公演の初日、つまり僕が初めて海外で俳優として舞台に立った日のことでした。

カーテンコールで今まで経験した事の無い拍手や指笛やかけ声に圧倒され、3回目に舞台に出て行って挨拶した時に客席の明かりが灯り、お客さんが「うわぁー!!!」とむちゃくちゃ喜んでいる姿を見た時に「僕は役者として好きな演劇で社会と繋がりたかったんや!それが今、繋がった」「僕は1人の人間として必要とされたかったんや!そして今、必要とされている」と全身で感じることができたのです。

この瞬間、周りに迷惑もかけてしまうが役者で食えなくても役者を続けて良いのだと思えました。

日本から来た知らない役者たちに全力で良かったと伝えてくれたフランスの観客に、ありがとうと伝えたくなり、気がつけば号泣しながら大声でジュデェームと叫んでました。
客席は大爆笑でした(笑)


では何故、僕は日本でフランスのカーテンコールで感じたようなことを感じることができなかったのか?


日本でも多くの仲間と舞台に立たせてもらい、カーテンコールでは沢山の観客の方が拍手をくれました。

終演後にお客さんや仲間に声をかけてもらい元気をもらったことは沢山あったはずなのに何故なのか?

そして僕がたどり着いた結論は「日本では僕が扉を閉めていた」ということでした。


受け取れなかったのは僕側の問題であったことに気が付きました。


役者としても開いていたと思ってたけれど閉じていたのではないか?
舞台を降りると更にその扉を閉じてしまっていたのではないか?
僕の生い立ちから今までの事を思うとそうだったと感じます。
役者をやっていますというと『凄いね』とか『ええやん』とか言われることはよくありました。

その後に『お金稼げているの?』『生活は大丈夫なん?』『バイトしてるの?』『いつまでやるの?』ということを心配され、生活を犠牲にしてでもやりたい事をやっているという事が『スゴイね』『ええやん』と言われているのではないかと、いつからか感じる様になりました。

役者を始めた頃は劇団が売れて僕も役者で食べて行きたいと夢をみて必死で猪突猛進な楽しい日々でしたが甘い世界では無い事も分かり、夢だけでも食べて行けず、結局『役者として食えるのか?食えないのか?』とその1点だけにフォーカスして自分自身も悩み苦しみました。


だけど歳を重ね様々な経験をして今は死ぬまで役者でいようと思っています。
食う食えないの前に僕が役者や演劇を通して何をしたいのか?
それが大切な事だと今は思っています。
役者として目指す理想も出来ました。
演劇活動をする事で人としても成長させて貰いました。
それはとても大きな事でした。
演劇の可能性とか演劇の多様性といったことに目を向けられにくい現実がありますが少しずつ変化も感じています。

いつか必ず死んでしまうので死ぬ事を考えたら色々と手離す事が出来ました。
どう生きるのか?
欲深い人間ですが少しずつ変わりたいと思っています(笑)


今はそう思えるけれどあの頃の僕は分かりませんでした。
有名、無名、食えてる、食えてない、お金がある、お金が無い、勝ち負けの世界だと思い込み生きるのが楽しくなく刹那的に生きてました。
社会を恨み疲れ、演劇をやりながらもいつの間にか演劇で社会とつながることを諦めて、自分で扉を閉めてしまっていたのだと思います。


フランスの観客からの賞賛が僕の扉を開けてくれたことで
「僕は好きだから役者を辞めなかったんだ」
「役者で食えなくても続けて良いのだ」
「これからも演劇を続けて自分の可能性をずっと追い求めればいいんだ」
「僕は演劇で役者で社会と繋がりたい、と素直に伝えればいいんだ」
ということがハッキリわかったのです。


駅で僕を助けてくれた人のように、困った人がいたら素直に助けてあげればいいし、人を助けることは恥ずかしがる事ではない。


人の目がどうとか、自分で自分のすることを疑ったり恥ずかしいと思う必要はなくて、自分が素直にやりたいと思うことをやればいいんだということに今更ですが気がつくことができました。
僕は役者としても一個人としても自分の扉をちゃんと開いて生きて行きたいと思います。

僕が作りたい居場所

世の中はコロナになり、それまでは顕在化しなかった色々な問題が炙り出された様に思います。
どれもこれも気持ちが暗くなるような事ばかりです。
世間で起きたニュースなどを見ていると、今の世界は他者との違いを認めない風潮が蔓延し、人と人の繋がりをわざと切り離そうとする何かを感じてしまいます。
助けがいる人、苦しんでる人、孤独な人が沢山いるように感じました。
お金を持っている人が勝ちで無い人は負け?
お金があれば幸福なのか無ければ不幸なのか?
利便性だけを求めて暮らしやすいと言えるのか?
人は一人では生きて行けないのではないか?
利己的では無く利他的に生きる努力をするべきでは無いのか?
人は皆、幸福になりたいと願っているだけなのではないのか?
そんな事を思い考える様になりました。
今の僕には沢山の人を助ける事など出来ませんが、人の居場所は作れるのではないか?
演劇を通して僕が学んだ事を生かしたい。
交流が生まれたり、他者と触れ合ったり、自分自身を知ったり、自分一人ではないと感じてもらえる場所を作りたい。


その場所が「ゑん〜enn〜」という場所です。


そして、僕はその為の場所は古民家がいいと思っています。
僕が生まれる遥か昔に建てられた家。
そこには先人の知恵や工夫があり、生活や歴史があり、多くの人たちが関わってきた、その歴史の延長線上に今の自分がいると思えるからです。
それは自然の中に居る感覚と同じで、僕はそんな場所にいると豊かな気持ちになります。
だから僕がつくりたい場所は、繋がりを感じる古民家がピッタリだと思っています。


「ゑん〜enn〜」に来た人に色々なことを感じ、穏やかで楽しい気持ちになって貰えたら良いなぁと思っています。
地域の皆さんとも繋がり、沢山の人に自然豊かな暮らしを感じて貰えたらと思っています。


僕はフランスで見た劇場の様な場所を長野の中条に作りたいと思っています。

今はまだ「フランスの劇場のような」としか形容することができませんが、僕が日本の長野の中条に作る「ゑん~enn~」という居場所はフランスの劇場のような、しかしフランスの劇場とは異なる唯一無二の場所になると思っています。


小さな灯りをともしたいと思います。

小さな狼煙が沢山の人に届くことを願って。